広場の生活

レストラン、喫茶室、バーそしてハッピーアワー:ポポロ広場にあるサロン「カノーバ」ならではのゆったりとした喫茶室のテーブルに座って、広場を満喫してください。

ローマで最も魅力的で美しい芸術に囲まれ、正に魔法のような雰囲気に浸りながら飲み食べて過ごす一日は、忘れられない思い出を作るチャンスです。「カノーバ」に足を踏み入れれば、広場の生活は貴方自身の生活に変貌してしまいます。

音楽の庭

ピンチョの丘の真下。昼は仕事に最適な懇談の場所に、夜は生演奏を聞きながら他にはない洗練された夕食の場へと装いを変えます。

レストラン「カノーバ・ブルー」

カノーバ・ブルーは、調度品もカラーも特別リラックスした雰囲気の中で、シェフがイタリア料理と国際料理の素晴らしい味をお届けしています。そればかりか、自慢の伝統郷土料理に感歎し舌鼓を打てば、素晴らしい一時となることでしょう。

昼食

カノーバはファースト・ランチにも特別料理を数々用意しております。洗練された「Sala delle Piazze」、あるいは「音楽の庭」で味わってください。時間に追われたなかでイタリア料理やローマ料理を是非味わいたい方々も、スピーディーに食事がとれます。

フェッリーニのギャラリー

オスカーを受賞した映画の巨匠フェデリコ・フェリーニは、カノーバを愛した常連でした。その彼に捧げた威信あるこのギャラリーでは、写真、デッサン、有名な映画のシーン、思い出の有名な女優男優たちを忍ぶことができます。

バーとタバコ店

バーは、ポポロ広場に面しています。イタリアならではのエスプレッソコーヒー、様々な種類のカップチーノ、クロワッサン(ローマでは「コルネット」)そして空想的なカクテルやロングドリンクをはじめとするスペシャル・ドリンク類も数々用意しております。  魅惑の夜は18時から豊富に取り揃えたハッピーアワーで始まります。バーではタバコも販売していますが、世界中の有名な葉巻を幅広く取り揃えているところが一味違います。


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ポポロ広場をご存知ですか

広場の名前の由来は確かではありません。「ポポロ」という言葉はラテン語のポプルス(ポプラ)から発祥したのだと思われますが、伝承によるとこの界隈にあるネロ皇帝の墓の近くに壮大なポプラの林があったということです。

 もう一つの仮説によると、かつてローマ市民が出資して礼拝堂を造ったその跡に今のサンタマリア・デル・ポポロ教会が建設されたために、市民「ポポロ」の生母マリア、そしてポポロが広場の名前になったということです。  1600年代には既に、北方のフラミニア街道を通ってやって来る巡礼達にとっては町の大玄関と見られており、広場は、建築家ジュセッペ・ヴァラディエによって名高い都市計画に副った建築で整備されました。  ジュセッペ・ヴァラディエ(1762年ローマ生、1839年ローマ没)は、イタリアの彫銀・彫金師であり建築家としてネオクラシック期で最も重要な人物の一人です。彫金師ルイジ・ヴァラディエの息子で、幼い頃から建築学に専念し、1775年に開かれたクレメンティーノ・コンクールの建築第二セクションに、僅か13歳にして第一位を獲得しました。  ヴァラディエは、1793年に広場の研究を開始し、1820年代に完成させました。広場の二方向を区切る像と噴水で飾られた両エセドラ、ピンチョの丘の斜面の建築的配置、ポポロの門の両側のシンメトリックな建造物、そしてエジプトのオベリスク(ラテラネンセにあるものに次いで古い)の基部にある大理石のライオン像をあしらった四つの水槽は、彼が設計したものです。  ヴァラディエが手掛ける前のポポロ広場は、台形のありふれた広場でした。復興作業に際してピンチョの傾斜部分も含めて構想され、緑の木々を配し車が通るポポロ広場と丘を繋ぐ広い坂道は1834年に完成しました。こうしてピンチョの丘のテラスは散策道路として市民も貴族も聖職者も法王さえも通う、ローマで最も有名な場所の一つに数えられるようになりました。

広場の建築

「多重建築」の最良の模範ともいえる広場とその門は、永遠の都では随所に見られる並外れた建築物の一つで、代々法王が交替するたびに建物や道路の建設が修正され改変されたことが確認されています。  広場に面して三つも教会があります。最も古いのは、門の側にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂です。11世紀に建立され、その後1472年から1477年にかけて再建され、更に1655年から1660年にかけてジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって修復され、今日でも認められるバロック様式の明確な足跡を残してくれました。  ポポロ門の向かいにある双子の教会は、サンタ・マリア・ディ・モンテサント教会とサンタ・マリア・デイ・ミラコロ教会で、建立は1400年代と1600年代に遡ります。「トリデンテ(三叉路)」(バブイーノ通り、コルソ通り、リペッタ通り)の始まる場所に立つこの双子の教会もまたジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって完成されたもので、カルロ・フォンターナが助力しました。  広場の中央にある高さ24メートルの大きなオベリスク・フラミニオは、エジプトのファラオ、ラムセス2世とメレンプタ(紀元前1232~1220年)の時代に造られたものをアウグストゥス皇帝の時代にローマに運ばれて、チルコ・マッシモに据えられていたものです。  1823年にヴァラディエが、オベリスクの四隅にエジプト・スタイルの大理石のライオン(オベリスクの発祥地と調和させた)とそこから噴出す水を注ぎ込む水槽、そして数段の階段上にモニュメントを配置しました。

 現在ポポロ広場は16,000平方メートルの広い歩行者天国になっており、重要な公共イベントの場として65,000人を収容することができます。